青い西瓜の日々

軸なきブログ

名前

久しぶりにニール・ヤングを聴きながら、数年前にかかってきた電話を思い出した。

会社にかかってきた電話だったのだが、受話器を取ると相手はニール・ヤングと名乗った。
からかわれているのか、と思った。
シンガーソングライターとして有名なあのアーティストが私のところに電話をかけてくるわけないじゃないか。

よくよく聞くとそれはある商品の売り込みの電話で、オチとしてはつまらないけども、ニール・ヤング氏は単なる同名異人だったんである。
「クレイジー・ホースのメンバーは元気にしてますか?」なんてアホな事を言わないで良かった。
本人もこのようにからかわれることにうんざりしているんではないだろうか。

また、ある展示会ではフランツ・シューベルト氏とも知り合いになった。
名刺を貰って「ええっ?」っと二度見してしまった。
クラシックに疎い私でも名前くらいは知っている。
「営業をやっているので、覚えてもらいやすいこの名前はありがたいんですよ。」
と氏は言っていたが、親はどういう思いを込めて命名したのか。
私にはちょっと理解しかねる。

昔読んだボブ・グリーンのコラムではマドンナという名の女性が取り上げられていた。
ポップ・スターのマドンナが「ライク・ア・ヴァージン」でブレイクした頃で、同名異人で敬虔なキリスト教徒でもあるマドンナさんは、「あなたも『処女みたい』なんですか」などとセクハラな言葉を投げかけられる度にポップ・スターのマドンナを呪った、という話だったと記憶している。

特異な名前もそうだが、有名人と同じ名前というのもなかなか大変だろう。

私の名前は平凡であるがゆえに、名前で特に良い思いも嫌な思いもしたことがない。
90年代に流行った漫画の主人公の名前に似ているので、その頃ちょっとだけからかわれたことがあるくらいか。

子供の頃に、私の名前の由来を母親に訊いたことがある。
「当時好きだったテレビドラマの主人公の名前よ」というのがその答えだった。
当時はその非ドラマティックな由来になんだかがっかりしたもんだが、親の変な願望か何かが込められた名前じゃなくって良かったな、と今は思う。