偉大なるデスリフ / C.D.B.ブライアン : ギャツビー後の世界
先日の『パンク騒動』でピーナッツモンキーさん宛てに書いたコメントをきっかけに再読することに。
本を買ったのは1990年代半ばくらいだったと思う。
初読時は今一つピンとこなかったんだけど、会話の部分とかは割と好きで、時々ぱらぱらとページをめくったりはしていた。
でもきちんと読み通したのは初読以来だ。
出張の間に空港や飛行機内やホテルでちびちびと読み進めていったんで、時間はかかったけど。そして初読の時よりも、ずっと面白いと思った。
タイトルからも分かるように本書はフィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』を下敷きにして1960年代末に生きる3人のドラマを描いている。
デスリフがギャツビー、アルフレッドがニック、アリスがデイジーという役割。
私が好きなのは何と言っても第二部の「ジョージ・デスリフの書」で、アリスと結ばれたデスリフが「豚小屋の如き結婚生活」について語る。
夢の女と思われたアリスは実は悪夢の女なのだが、彼女もまた自身の美貌と上流階級社会にスポイルされた被害者でもある。
肥大化したエゴのために、自らを、そして周りをも不幸にさせていく。
と、筋はシリアスだけど、デスリフの真面目な語り口のためにかえってユーモラスさが醸し出されていて読んでいて飽きない。
浮気相手からの手紙のみならず、自分が浮気相手に出した手紙のカーボン・コピーを大事にとっているデスリフの几帳面さも、とてもおかしい。
その手紙のせいでデスリフは悲惨な状況に置かれるわけだけど、悲惨すぎて笑いがでてくるほどだ。ベン・スティラー主演の映画みたいに。
ギャツビーの偉大さは、(狂気的とも言える)ロマンの追及にあったと思うんだけど、デスリフの偉大さってのはどこにあるんだろう。
ギャツビー的幻想を打ち砕かれた後にも、ささやかなモラルを持って再生しようとする意思だろうか。
ところで文庫本の裏の紹介には「お洒落で哀しい恋愛小説」とあるけど、それは結構なミスリードだと思うよ。