ヤン坊・マー坊 独占インタビュー
- 55年間お疲れ様でした
ヤン坊 「あっという間でした」
マー坊 「まあ、いろいろとありましたけどね」
- ヤンマー社のマスコットになられたきっかけは?
ヤン坊 「昭和34年の春ですが、二人で父親の畑仕事を手伝っていたんです。当時はまだ東京にも畑が結構ありましてね。そこにヤンマーのお偉いさんがたまたま通りかかって、マスコットにならないかと」
マー坊 「あの時使っていたのは、赤いトラクターじゃなかったけどさ(笑)」
- スカウトされたんですね
マー坊 「テレビに出れるってんで二人とも大はしゃぎでね。母親は芸能界なんてとんでもないって猛反対だったけど、最後には分かってくれてさ」
ヤン坊 「最初の放送は緊張したものです」
マー坊 「歌と振付は簡単そうに見えるかもしれないけど、あれで結構大変なんだ。生放送だったし」
- 芸能界での思い出は?
マー坊 「石原の裕ちゃん達と銀座で一晩馬鹿騒ぎをやったことかな。100万円は使ったなあ、当時の金で。若かったねえ」
ヤン坊 「あの頃こいつは浮足立っていて、世間様に言えないような事もいろいろと」
マー坊 「やめてくれよ、兄貴。もう時効だよ(笑)」
- 苦労話などありましたら
ヤン坊 「この数年はしわ隠しのメイクが大変でした。さすがにマスコットとしては老けた姿をさらせないので」
マー坊 「白髪も染めなきゃいけないしさ。若作りは大変なんだよ」
ヤン坊 「それでも童顔なんで、なんとかなりましたが」
マー坊 「飲み屋ではお姉ちゃんから、とっちゃん坊や、なんてからかわれるんだ」
- 引退後の予定は?
ヤン坊 「まずは妻と一緒にのんびりハワイ旅行でもと考えています。これまでまとまった休みが取れなかったので、その埋め合わせです」
マー坊 「中華料理屋でも開こうかと思っているんだ。人生まだまだ、これからだよ」
- 今日はありがとうございました (聞き手:西瓜男)