青い西瓜の日々

軸なきブログ

ブルー / 渡辺真知子 : 昭和と歌謡曲と

主に(古い)洋楽ばかり聴いている私だが、たまには日本の曲を聴く事もある。

最近の曲なんて知るわけもなく、聴くのはもっぱら「昭和」の頃の曲だ。

 

大別するとニューミュージックか歌謡曲という事になるのだろうが、こうして書いてみると、その響きの古臭いこと。

 

『ニューミュージック』大体ニューやら新やらつけられたものは、即刻古くなってしまう定めなのだ。それでも人は懲りずにニューやら何やらをつけたがる。ホテル ニュー越谷を見よ。

 

『歌謡曲』 J-POPに駆逐されてしまった感がある。そもそもJ-POPとは何か、私にはよく分からないが。

 

『昭和の歌謡曲』ともなれば古臭さもひとしおだが、そもそも昭和と歌謡曲は分かちがたく結びついているのではなかろうか。『昭和のJ-POP』や『平成の歌謡曲』はきっと存在しない。歌謡曲は昭和とともに消えてしまったのだ。そして引導を渡したのは小渕氏に違いない。

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小学生の頃は『ザ・ベストテン』を欠かさず見ていた。だからYoutubeで、あの頃の曲を探したりする。70年代末頃の楽曲を聴いて、ちょっとびっくりした。当時ニューミュージックというくくりで捉えていた渡辺真知子八神純子が、実は歌謡曲の人だったからだ。ところどころに入るこぶし、泣きのフレーズ、ダン池田とクレジットされそうなバックの演奏。これは歌謡曲だ、と思った。八神純子はあともう二歩くらいで演歌だとも。

 

もっとも音楽のカテゴライズなんてあいまいなので、人によっては彼女達は十分ニューミュージックなのかもしれない。しかし私の中ではニューミュージックとは例えば松任谷由美だ。彼女の楽曲は歌謡曲とは明らかに違う。それと比べると渡辺真知子八神純子は歌謡曲なのだ。

 

まあ、そういう区分け自体は実はどうでもいい(なら書くな、ってのは無しね)。

何であろうと私は楽しく聴いている。特に良いなと思ったのが渡辺真知子の『ブルー』だ。当時は『迷い道』と『かもめが翔んだ日』と比べて印象が弱かったのだが、今聴くととても良い。

 

 

この歌はこう始まる。

あなたは優しい目 だけど とてもブルー

凍りついてしまうほど

抱きしめて だけど とてもブルー

あの娘の代わりと分かっているから 

 

平易な歌詞なので、当時小学生の私でもストーリーは理解できていたと思う。しかし、恋愛の苦しさが分かるのはそれからずっと後の事なのであった。(続かない)