駄菓子の追憶
先日沖縄に帰省した時の事を書いたが、沖縄を離れる直前に、これを持ってけと兄貴が土産をくれた。それは食料品やお菓子だったのだが、その中に干し梅が入っていて懐かしさにニヤリとした。うむ、さすが兄貴。分かってる。
干し梅とは梅干しをさらに乾燥させた駄菓子で、今はスッパイマンという商品名で売られているが、私が子供の頃は「乾燥梅干し」とか単に「梅干し」と呼ばれていた。
当時の駄菓子の定番だったのだ。
食べ終えた後には、残った種をかちわって、種の中の仁まで食べたりしていた。いやしさゆえ、というよりも、かちわるという行為が楽しかったのだと思う。
それが少年というものだ。
「仁を食べると死ぬよ」と誰かに脅されるまではそうしていた。
Wikipediaを見ると、仁を多量に食べると死に至る可能性がある、とちゃんと書いてある。多量に食べなくてよかった。いくつからが「多量」なのかは知らないけど。
もちろん干し梅以外にも色んな駄菓子を食べた。
チロルチョコ、さくらんぼ餅、ベビースターラーメン、得体の知れないヨーグルトもどき、ビッグカツ、なんとかイカ、むぎチョコ、フィリックス・ガム、カレーせんべい、などなど。
我が輝かしき駄菓子ライフよ!
沖縄ローカルの駄菓子だと思うが、一枚10円の塩せんべいも定番の一つだった。
お金がある時には一袋10円のチョコレートソースを塗って食べるのだ。
チョコソースを塩せんべい2枚で挟む奴は、ちょっとしたお大尽様だった。
あとは脳みそせんべいか。
脳みそせんべい。
今考えると、結構なインパクトだ。
当時の子供たちは、レクター博士よろしく嬉々として脳みそ(せんべい)をガリガリと齧ってはにんまりとしていたのだ。
それはエビ風味のポン菓子せんべいで、色といい、しわと言い、脳みそに似ているからそう呼ばれていただけの話なのだが。
ああ、子供の頃に食べた駄菓子は美味しかったな、と懐かしむようなおじさんにとって、駄菓子はもはや手に取るべきものではない。きっと失望が待っているから。
駄菓子との美しい思い出はそっと心の中にしまっておくべきなのだ...
なんて、カッコよく締めたかったが、もらった干し梅を一人で全部食べつくしてしまった私なのであった。
美味しいんだから、ホント。